3月10日は「サトウ」の日だ。阪神のドラフト1位・佐藤輝明内野手(21=近大)が10日の広島戦で甲子園初本塁打を放った。5回に左中間スタンドに運ぶ驚愕(きょうがく)の一発を含め3打数3安打の大暴れ。球団新人の本拠本塁打は2002年浅井良以来で甲子園3安打は80年岡田彰布以来、41年ぶりだった。父方の祖父母が宮城県に住んでおり、東日本大震災から、きょう11日で10年の節目を迎える日を前に、希望と元気を与える活躍をみせた。
驚きの「破壊音」に6071人の観衆が一瞬、声を忘れた後、甲子園に歓声がこだました。本拠地2試合、通算7打席目に飛び出した記念すべき「甲子園1号」。1人確信した佐藤輝はバットを格好良く放り投げるとゆっくりと駆けだした。
「しっかり捉えることができたので、打った瞬間、いったと思いました。ファンの皆さんの前で、まず1本打つことができてよかったです」
自らの失策を起点に同点にされた直後の5回、3点を勝ち越しなおも2死二塁で回ってきた3打席目。1ボールからスコットの甘く入った145キロツーシームを完璧に仕留めた一撃は左中間スタンドで大きく弾んだ。悠々とダイヤモンドを一周しベンチのナインの出迎えに、笑みを浮かべながら両手で胸を叩く“ゴリラポーズ”を披露。矢野監督も「テルらしい“打った瞬間いったな”といういいホームラン。それをファンの人に見てもらえたのは、いい一日だったんじゃない」と目を細めた。
きょう11日で東日本大震災から10年がたつ。宮城県村田町に住む父方の祖父母は、大きな被害こそ免れたが、停電に見舞われ数日間にわたり連絡が取れなくなった。その後、祖父母の自宅に向かった際に「空港に着いた瞬間にいつもなら家とかあるんですけど、空港の周りに何もなかった。実際に見てすごい被害なんだと」と当時を振り返る。
野球を始めた幼少期から大学時代まで、何度も遠路はるばる観戦に駆けつけてくれた祖父母の願いでもあったプロ野球選手の夢をかなえ、今は夢と希望を与えられる立場に代わった。その志を胸に、佐藤輝は「僕の祖父母の家は大丈夫だったんですけど、まだ苦しんでいる方もいると思う。そういう方にも勇気だったり、ちょっとでも感じてもらえたら」と被災地を思い、言葉に力を込めた。
本塁打だけじゃない。1打席目には今春3度目となる「通天閣打法」も披露。三塁方向に高々と上がった打球は風も手伝ってファウルゾーンからフェアゾーンへと向きを変え三塁手の矢野が捕球できず内野安打。4回1死では追い込まれながら中村祐のカーブに体勢を崩されることなく右翼線に運ぶ二塁打。本塁打と合わせサイクル安打に王手をかけたところで途中交代した。
「佐藤の日…よかったです」と笑い「3・10」を確かな記憶として虎党の脳裏に刻み込んだ。もう新人の域を超えている。堂々とした受け答えとプレーには風格が漂う。 (阪井 日向)
《三塁守備で初失策》佐藤輝は甲子園で初めて就いた三塁守備で「プロ初失策」を記録した。5回1死、田中広の三遊間への高いバウンドに合わせにいったが、打球はグラブの下を通り抜け二塁まで進塁を許し、その後の失点につながった。「全部土なのは12球団(の本拠地)で一つだけ。そういうのも頭に入れながら、これからまたやっていきたい」。試合後は、今後の外野守備も想定し、筒井守備走塁コーチと右翼付近で特守を実施した。
○…佐藤輝(神)が5回、左中間へ2ラン。阪神の新人選手の甲子園本塁打は02年浅井良の3月13日、日本ハム戦の左越え2ラン以来19年ぶり。オープン戦本塁打は3月5日ソフトバンク戦の初打席アーチ以来2本目。ドラフト制以降(66年~)阪神新人のオープン戦複数本塁打は72年望月充の3本を筆頭に69年田淵幸一、80年岡田彰布、87年八木裕の2本に続く34年ぶり5人目。左打者では初めて。
○…2回三塁内野安打、4回右翼線二塁打と合わせオープン戦初の3安打。球団新人では19年木浪が3月12日の中日戦(ナゴヤD)で3安打して以来だが、甲子園では80年に岡田が3月20日の巨人戦で3安打して以来、41年ぶりとなった。
▼広島・佐々岡監督(佐藤輝について)いいスイングをしているし、逆方向に飛ばす力はフリー打撃の時から見ていた。今から対処しないといけない。開幕2カード目(の相手)なのでね。
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